ヌードデッサン

デッサン教室が終わって、今度はヌードデッサンを描きに行くようになった。

デッサン教室が思いのほか充実していたこと、また、人体も描いてみたいと思うようになり、探していたところ、都合よく家の近所で毎週ヌードデッサンを開催している所を見つけた。

今回は教えてくれる講師はおらず、単純にモデル(隔週で男女のモデル)がポーズをとり、それを参加者が好きなように描くという形式。最初は5分おき、そして10分、15分、30分という形でポーズを変えていく。

参加者の数はその時によりまちまちで、予約の必要がないので気軽に参加できる。

やはり場の雰囲気は大事だなと思うのだが、描いている間は形を捉えるのに必死なので、自分でも驚くほどあっという間に時間が過ぎていく。ものすごく集中できる。


やってみて、感じること、考えることがいくつか出てきた。

まず描き方を教えてくれる人がいないこと。これには最初戸惑った。どう描き始めたらいいのか分からない。それでもやらなければならない。一枚目、二枚目は酷いものだ。上手く描こうとするものだから、自分の味も出せない。

これはまずい、このままでは何も得られないと焦る。

最初は鉛筆だったが、得意なペンに持ち変えて描いてみる。上手い下手を意識しないで描く。今度は自分らしさが出てきた。

次に木炭で描いてみる。これもまた悪くないと思う。

最後、不意にボールペンと木炭の合わせ技で試してみる。新しいものが出てきた。


これまでが一回目の流れ。

そして二週間程空いて、再びヌードデッサンに行ってみる。
前回得られた感覚がすっかり失くなっている。

スケッチブックを新しくしたのも感覚の違いに大きく影響しているのだろう。紙質が異なるので、ペンや木炭での描き心地が全く違うのだ。

この紙質に慣れるまで、もう少し時間が必要なのかもしれないが、他の画材によるデッサンが不満足の連続だったため、今一度鉛筆に戻る。

試行錯誤を繰り返しながら、なんとか全体像を捉えることができるようになってくる。



上の二枚はそれぞれ30分かけて描いたものだが、ごく一般的なヌードデッサンが出来上がったと言えるだろう。
自分なりに上手に描けたと思っているし、形を捉え、それを少しずつハッキリさせていく作業には充実感すら伴う。

ただ、頭の中は整理ができていない、というよりもグチャグチャしている。

果たして、これでいいのだろうか?

自分はデッサンを上手に描くことに対して喜びを感じてしまっている?
しかしながら、上手に描くこととは、すなわち自分の線を失うことに他ならないのではないか?

僕は恐れる。

自分の持っている自由な線に、自分自身で枠をはめてしまうのではないかと。

傍から見たら、僕はちっぽけな事で考え込んでいるのかもしれない。
こいつはそれくらいで自分のこれまでを失うような奴なのかと。

もっと回数を重ねていくことで見えてくるものがあるかもしれない。

でもその前に、自分はどこに向かおうとしているのか、いや、自分はどこからやって来たのかを、今一度改めて確認する必要がありそうだ。


 

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