投稿

12月, 2015の投稿を表示しています

日本語教室(カタカナ編)

イメージ
昨日は日本語教室を地元の子供たちに行った。 教室、と言っても、まずは皆で自分の名前をカタカナで書いてみようという試み。 僕がまさか子どもたちに何かを教える日が来るとは、考えてもみなかった。 ここに至るまでの簡単な経緯を説明すると、僕の知人、と言っても元々は僕の絵を買ってくれたお客さんなのだが、彼女が毎週ボランティアで開いている工作教室で、僕から子どもたちに日本語の書き方を教えて欲しい、という依頼を受けたのが最初だった。なんでも、子どもたちにとっては知らない文字を書くだけでも十分楽しめるから、という話だったので、まあ僕も深く考えずに二つ返事でOKした。 と言っても前述の通り、何か授業めいたことをした経験もないので、いざ準備を始めたら思いのほか大変で、色々と準備に時間がかかった。 自己紹介のために、秋田について調べ物。そして日本語。日本語にはひらがな、カタカナ、漢字の3種類の文字があって、そこにローマ字も混ぜて使っている。これって僕らからしたら自然に使っているから深く考えないのだが、いざそれについて話すとなると色々な疑問、そして新しい発見が出てくる。 そもそも、どうしてひらがなとカタカナがあるのだろうか。これって、ローマ字のアルファベットが同じ発音で2種類あると考えたら分かりやすいのではないか。そうすると、1種類の方が簡単で良さそうなものだが、平安時代に漢字〜万葉仮名からひらがなとカタカナに形を変えて、現代においても両者が使われているのだ。また調べる課題が出てきた。 (それと別の問題で、「やまとことば」という日本古来の言葉がある。文字が中国から伝来する以前から日本で使われていた口伝の言葉。こちらについての考察にも興味がある。) また、漢字をドイツ語で言うと"chinesische Schriftzeichen"で「中国の文字」という意味になる。本来は「漢字」という文字だってそのまんま「中国の文字」なわけで、そんな事にも気が付かないでいた。まあ実際には現在使われている文字は日本と中国と台湾でまた随分と違いがあるようなので、しっかりと説明しようとなると色々とややこしくなる。 今回の教室ではさすがにそういった突っ込んだ話をする必要もないので、簡単に今日はカタカナで名前を書いてみましょう、という流れにした。 僕からは

天井の壁、夢の夢

今朝の夢はなんとまた生々しかったことだろう。 目が覚める直前、自分が寝ているのは秋田の実家の二階だという感覚に陥った。 一瞬、完全に勘違いをしたのだ。 目を開けるとそこはいつもと同じ、ベルリンの僕の寝室だ。 ああ、あれは夢かと、部屋に飾っているおばあちゃんの写真に目を向ける。おばあちゃんはいつもと変わらず父親の隣に座っている。 ああ、今日はまた、死んだいとこも出てきたし、母や姉も出てきたし、あ、地元の旧友もいたっけなあ。 そういう夢だってことは、自分の魂が実家に飛んでいたのかもしれないなあ。 頭の中には、bump of chickenのハルジオンと天体観測が大音量で流れていた。 そんなことを考えていたら、さらにもう一段階目が覚めた。 そうか、最初に目が覚めたと思っていたのは、あれも夢の中での出来事だったんだ。 確かに、おばあちゃんの写真を見ようにも裸眼だとぼやけてほとんど見えないはずなのに、さっきはハッキリと見えていたもんな。 目に映った天井の壁も、窓の外で揺れる木の枝も、夢の中で見たものだったのだ。 本当にリアルな夢だった。 こうして、夢の中で生者も死者も関係なく会えるのだから、いつだって皆を感じていられる。 今日はとっても暖かい気持ちで、一日を始められる。