投稿

2015の投稿を表示しています

日本語教室(カタカナ編)

イメージ
昨日は日本語教室を地元の子供たちに行った。 教室、と言っても、まずは皆で自分の名前をカタカナで書いてみようという試み。 僕がまさか子どもたちに何かを教える日が来るとは、考えてもみなかった。 ここに至るまでの簡単な経緯を説明すると、僕の知人、と言っても元々は僕の絵を買ってくれたお客さんなのだが、彼女が毎週ボランティアで開いている工作教室で、僕から子どもたちに日本語の書き方を教えて欲しい、という依頼を受けたのが最初だった。なんでも、子どもたちにとっては知らない文字を書くだけでも十分楽しめるから、という話だったので、まあ僕も深く考えずに二つ返事でOKした。 と言っても前述の通り、何か授業めいたことをした経験もないので、いざ準備を始めたら思いのほか大変で、色々と準備に時間がかかった。 自己紹介のために、秋田について調べ物。そして日本語。日本語にはひらがな、カタカナ、漢字の3種類の文字があって、そこにローマ字も混ぜて使っている。これって僕らからしたら自然に使っているから深く考えないのだが、いざそれについて話すとなると色々な疑問、そして新しい発見が出てくる。 そもそも、どうしてひらがなとカタカナがあるのだろうか。これって、ローマ字のアルファベットが同じ発音で2種類あると考えたら分かりやすいのではないか。そうすると、1種類の方が簡単で良さそうなものだが、平安時代に漢字〜万葉仮名からひらがなとカタカナに形を変えて、現代においても両者が使われているのだ。また調べる課題が出てきた。 (それと別の問題で、「やまとことば」という日本古来の言葉がある。文字が中国から伝来する以前から日本で使われていた口伝の言葉。こちらについての考察にも興味がある。) また、漢字をドイツ語で言うと"chinesische Schriftzeichen"で「中国の文字」という意味になる。本来は「漢字」という文字だってそのまんま「中国の文字」なわけで、そんな事にも気が付かないでいた。まあ実際には現在使われている文字は日本と中国と台湾でまた随分と違いがあるようなので、しっかりと説明しようとなると色々とややこしくなる。 今回の教室ではさすがにそういった突っ込んだ話をする必要もないので、簡単に今日はカタカナで名前を書いてみましょう、という流れにした。 僕からは

天井の壁、夢の夢

今朝の夢はなんとまた生々しかったことだろう。 目が覚める直前、自分が寝ているのは秋田の実家の二階だという感覚に陥った。 一瞬、完全に勘違いをしたのだ。 目を開けるとそこはいつもと同じ、ベルリンの僕の寝室だ。 ああ、あれは夢かと、部屋に飾っているおばあちゃんの写真に目を向ける。おばあちゃんはいつもと変わらず父親の隣に座っている。 ああ、今日はまた、死んだいとこも出てきたし、母や姉も出てきたし、あ、地元の旧友もいたっけなあ。 そういう夢だってことは、自分の魂が実家に飛んでいたのかもしれないなあ。 頭の中には、bump of chickenのハルジオンと天体観測が大音量で流れていた。 そんなことを考えていたら、さらにもう一段階目が覚めた。 そうか、最初に目が覚めたと思っていたのは、あれも夢の中での出来事だったんだ。 確かに、おばあちゃんの写真を見ようにも裸眼だとぼやけてほとんど見えないはずなのに、さっきはハッキリと見えていたもんな。 目に映った天井の壁も、窓の外で揺れる木の枝も、夢の中で見たものだったのだ。 本当にリアルな夢だった。 こうして、夢の中で生者も死者も関係なく会えるのだから、いつだって皆を感じていられる。 今日はとっても暖かい気持ちで、一日を始められる。

ヌードデッサン

イメージ
デッサン教室が終わって、今度はヌードデッサンを描きに行くようになった。 デッサン教室が思いのほか充実していたこと、また、人体も描いてみたいと思うようになり、探していたところ、都合よく家の近所で毎週ヌードデッサンを開催している所を見つけた。 今回は教えてくれる講師はおらず、単純にモデル(隔週で男女のモデル)がポーズをとり、それを参加者が好きなように描くという形式。最初は5分おき、そして10分、15分、30分という形でポーズを変えていく。 参加者の数はその時によりまちまちで、予約の必要がないので気軽に参加できる。 やはり場の雰囲気は大事だなと思うのだが、描いている間は形を捉えるのに必死なので、自分でも驚くほどあっという間に時間が過ぎていく。ものすごく集中できる。 やってみて、感じること、考えることがいくつか出てきた。 まず描き方を教えてくれる人がいないこと。これには最初戸惑った。どう描き始めたらいいのか分からない。それでもやらなければならない。一枚目、二枚目は酷いものだ。上手く描こうとするものだから、自分の味も出せない。 これはまずい、このままでは何も得られないと焦る。 最初は鉛筆だったが、得意なペンに持ち変えて描いてみる。上手い下手を意識しないで描く。今度は自分らしさが出てきた。 次に木炭で描いてみる。これもまた悪くないと思う。 最後、不意にボールペンと木炭の合わせ技で試してみる。新しいものが出てきた。 これまでが一回目の流れ。 そして二週間程空いて、再びヌードデッサンに行ってみる。 前回得られた感覚がすっかり失くなっている。 スケッチブックを新しくしたのも感覚の違いに大きく影響しているのだろう。紙質が異なるので、ペンや木炭での描き心地が全く違うのだ。 この紙質に慣れるまで、もう少し時間が必要なのかもしれないが、他の画材によるデッサンが不満足の連続だったため、今一度鉛筆に戻る。 試行錯誤を繰り返しながら、なんとか全体像を捉えることができるようになってくる。 上の二枚はそれぞれ30分かけて描いたものだが、ごく一般的なヌードデッサンが出来上がったと言えるだろう。 自分なりに上手に描けたと思っているし、形を捉え、それを少しずつハッキリさせていく作業には充実感すら伴う。 ただ、頭の中は整

晩秋

イメージ
一昨日撮った写真。 気温もぐっと下がったし、もう秋も終わりだなと思っていたら、昨日は初雪だった。 いよいよ 冬が来ました。

富と名声

富や名声・名誉など僕には関係ない等と思いながら、実際には気になるところがある。また、そういう意味で成功を収める人には時折嫉妬してしまう自分がいるので、この際だから、その辺りを洗い出してみようと思う。 1.富はどのくらい手にしたいと思っているか。 上を見ればキリがないけれど、まずは絵、そしてできれば言葉も生業として生活が維持できるようになることが望ましい。そして適度に旅行ができ、年に一度もしくは二度は日本に帰ることができ、願わくば家族を持った時に彼らを養えるだけの収入。そしてさらに願わくば、大事な人を少しだけ助けてあげられるだけの収入。 別に世のため人のためにお金が必要などとキレイ事を言うつもりはない。でも僕はありがたいことに十分自分のやりたい事をやれているし、その分、本来は親を少しでも楽させてあげるだけの収入を得ていてもおかしくない年頃なのだが、そうはなっていないことへの罪悪感もある。だから、もっとお金があれば親に生の充実を味わってもらうための何か(基本は旅行だと思う)をしてあげたいという気持ちが大きい。 特別大金持ちになりたいという訳ではない。むしろ「富や名声」という場合の「富」という言葉が否定的な印象を持っていて、それを望むことが浅ましいことのように感じるが、そこまで卑屈にならなくてもいいのかもしれない。 それは貧困で苦しんでいる多くの人の前では贅沢な望みかもしれないが、現在の僕の状況を客観視した時に、欲に溺れているという水準のものには全く見えない。その点を僕はもっと素直に受け入れてもいいのではないか。 2.名声はどれだけ欲しいか? 名声というと、世間で高い評価を受ける、有名になるということを指すが、僕にはそういう願望はほとんどない。 これ自体は嘘ではないのだけれど、ただ、何かで功績を上げて有名になる人を羨ましいと思うことがあり、その度に自分の器の小ささを感ずるのも事実。 小さな頃は目立ちたがり屋だったし、人に注目されること自体は嫌ではない。画家として有名になるにはどうしたらいいかと本気で考えた時期もある。でも純粋に自己を磨くこと、高みに登ることを生きる指針とした時から、有名になるために活動することへの動機が無くなった。有名になって名誉欲を満たすことが僕の生きがいではないからだ。僕にはそれよりも、もっともっと大事なものがある。

デッサン教室 その六

イメージ
第六回目 本当はこの次にもう一回あったのだが、先に書いた通り、体調が悪過ぎて何も集中できず、得られるものがほとんど無いと言っていいので省略する。そこでは遠近法について練習をしたが、頭も働かないし、痛かった思い出しか残っていない。残念なことだが今回は縁が無かったのだろうと諦める。 ということでこれが実質的な最終回。今回は人物画。本来はヌードデッサンの予定だったのだけれど、モデルが急遽キャンセルになったため、代わりに講師がモデルになってデッサンをすることに。 人に習うのは初めてなものの、これまでにも人物を描くことが無かったわけではない。それでも描き方の基本というか、コツを教えてもらうのは、それはそれで新鮮なものだ。 今回は時間が限られていたため、顔に限定して教えてもらった。 新たな発見だったのが、頭頂から顎までを見た時の中間が目だということ。人の顔を描く時、これまでは髪の生え際をてっぺんとして、顎までの部分を「顔」として認識していたが、ここでは頭髪も含めた「頭」まででひとつとして見ているのだ。 そしてその中心に位置するのが目であり、中心が決まるとそこからはまた対象を二次元に落とし込んで行くことで、現実に近づけることができるという考えのようだ。 最初の習作(上)は距離感を測るのに精一杯で、それだけで時間が終わってしまった。細かな部分まで描いている余裕はなく、モデルが若々しくなってしまった。 二枚目は一枚目と同じ所用時間だったにも関わらず、大きな進歩を見せていると思う。きちんと歳相応に描けている。 静物を描いている時もそうだったが、デッサンはある程度形ができてくると、そこからが楽しい。形を再現する、というか大まかに決めるまでが難しく、決まった後は彫刻で言うところの磨く作業に近いので、無心でひたすら鉛筆を動かすことができる。   最後は5分おきに姿勢を変えてもらって、素早く描くという練習。忠実に描こうとすると、時間が全く足りないので、細かいことは気にせず大まかに描く。この中では真ん中の習作がすごく気に入っている。ちなみに右下は木炭で描いたもの。木炭で描くには紙面が狭すぎで、僕の場合、木炭は小さく描くのには向かないことが分かる。小さいものを描くにはペンがいいのだろう。

デッサン教室 その五

イメージ
第五回目 今回の題材は流木。 この教室も今回を含めてあと三回、そして次回は人物画、最終回は遠近法ということで、静物画は今日で最後となることもあり、自分の得意な木炭で描くことにした。 流木はその形が既に魅力的で、想像力を働かせることでいかようにも見ることができる。僕はこの流木を鳥に見立てて構図を決めた。 木炭は僕の線を表すための非常に重要な画材だ。 僕の絵は混沌とした色を背にし、時に太くて強い、また時には細くて弱い線が縦横無尽に駆け回る、というのが基本になっているのだが、その線を描くのに、最初 はバスキアの真似で油絵の具を固めたオイルスティックを使っていた。それがアクリルの黒で描く時期を経て、今ではほぼ木炭を使用している。 今思い起こしてみると、その理由として考えられるのは、他の画材に比べて、色の濃淡を自由に調整できるからなのだと思う。木炭との出会いによって、自分のいいと思うまで、線の調子を整えることができるようになった。 本来、木炭はデッサンや下絵に主に使用されるのだが、僕は全く違う、自分の文脈の中でそれに出会った。それが今こうして本来の使われ方をする。 一枚目に並んで、こちらもこれまででベストと感じられる習作(野菜か果物の乾物)。 うまく言葉で表現するのは難しいが、僕の内側の成分がジワジワとにじみ出ていて、自分で見ていて飽きない。まさに、グッと来る、というやつだ。 普段は自分の好きな画材しか使っていないから気が付かないが、色々と他の画材を試すことで、その自分に合った画材、もしくは得意分野が浮き彫りになる。僕だって一応、油絵の具やインクや水彩画なんかも試しで使ったことはある。14年間絵を描いてきて、画材も自然と定まって来たのだろう。 ちょっといつもと違うものを見ることで、いつも見ているものが当たり前なんかじゃなく、自分で選んだ結果なのだと分かるのだ。 それが今後も変わらない保証なんてどこにも無いが、自分の立っている場所を再確認、それも強く、ハッキリと自覚することができた。

デッサン教室 その四

イメージ
第四回目 さて、四回目。 今回は盆栽、描く対象も段々と複雑になってきている。こうなると空間把握が難しくて、鉛筆を使って距離を測ったり、枝の斜め具合いを確認したりに時間がかかる。時間がかかると今度は絵を先に進めたくなる衝動に駆られる。 葉っぱの数は忠実に再現したが、根っこの数や葉っぱの形はいい加減になってしまった。でもこの習作を見て分かるように、そういう細かい部分は意外とどうでもよくて、作品が良く見えればそれでいい、ということも言えるはずなんだ。 今回のデッサン教室では、僕は敢えて基本を学ぶことに集中し、自分の色というよりも、対象を忠実に再現することを考えていた。それは自分の色はいつでも出せるからで、普段ならやらないことをここにやりに来たんだ。 だから、細部まできちんと描き込むことができないことについては、満足していないが、それでもやはり再現性、どれだけコピーしているかと、その作品の良し悪 しはイコールではないと思うのだ(全く違うとも言い切れない部分もあるだろうが)。これは言うまでもなく、僕の絵のスタイルからして当たり前のことなのだが、その当たり前のことを、実際に自分で経験してみる、ということが大事なのだと思う。 二枚目は、前回に引き続き竹ペンを使う。小さな対象を大きく描くという練習。 ゴッホの陰影を参考に描いてみたが、影を線で表現することが今ひとつ出来ていない。自分の中ではこの練習を続けるべきか、よく分かっていない。もう少し時間が必要で、そのための時間を自分が作ろうとするか、今はなんとも言えない。

Um lebendig zu leben

Kann ich wirklich sagen, dass ich ehrlich, aufrichtig sowie redlich lebe, ohne Reue zu empfinden. Verliere ich mich nicht selbst? Stehe ich immer noch dem Tod gegenüber? Vergesse ich wirklich nicht die Leute, die an mich denken und mich unterstützen? Halte ich nicht dort an, wenn ich mit meinem heutigen Zustand zufrieden bin? Ich, Suche ich immer noch die Wahrheit? Ich, Bei mir, Höre ich den Schrei meiner Seele? Ich, Ich möchte mehr, mehr, mehr, mehr lebendig leben. Obwohl ich in einer von der so großen und drastischesten Stadt lebe, ist meiner Aktionskreis sehr eng, als ob ich in einem kleinen Dorf lebte. Nach wie vor ist mein Bewusstsein niedrig, meine Bilder zu verkaufen oder zu bewerben, und ich interessiere mich kaum für die Kunstszene Berlins. Jedoch, deswegen, da ich diesen Alltag habe, kann ich mich auf mein Ding gut konzentrieren, ohne Fessel zu fühlen, und in der Tat sammelt sich etwa eigenen Erfahrungen an. Allerdings, wenn ich m

生きるため、活きるため

僕は僕に対して恥ずかしくない生き方をしていると、胸を張って言えるのか。 僕は自分を見失っていないか。 僕は今でも死と向き合っているか。 僕は僕を支えてくれている人達のことを忘れていないか。 僕は今の自分に満足して、そこで立ち止まってはいやしないか。 僕は、 僕は真実を希求しているか。 僕は、 僕には、 僕の魂の叫びが聞こえているか。 僕は、 僕はもっともっと、 もっともっと、活きて生きたい。 ベルリンという、今最もドラスティックな都市の一つである街に暮らしながら、僕の行動範囲は極端に狭く、まるで小さな村で生活しているようだ。 相変わらず、自分の作品を売り込もうとする意識は低く、ベルリンのアートシーンにもほとんど興味がない。 でも、そんな日常があるからこそ、僕は自分のやりたいことを、何のしがらみのなく自由にやれるし、 実際に何かしらの経験は蓄積されている。 ただし、全力で上記のことをやれているかというと、やれている時とそうでない時がある。 今一度、ネジを締め直して、 僕の、 魂の咆哮に耳を傾けよう。 生きるため、活きるために、 死というものを 意識しよう。

デッサン教室 その三

イメージ
第三回目 この日は遅刻をしてしまったため、なかなか集中して作業することができなかった。 今回の課題はSchraffur、陰影についてだった。対象には野菜や果物が加わった。普段は家でデッサンをやろうという気持ちにならないが、こういう場に来ると、環境がそうさせるのだろう、ものすごく集中できる。時間があっという間に過ぎていって、つまらないと思うどころか、とても充実している。 そういう意味でも、やはり環境を整えることは、僕にとって非常に大事だ。 もっと時間があれば静物もしっかりと描き込みたいところだったが、まずは影を描くことに注力した。 左の野菜に比べて、右側の水差しでは線の強弱を意識してみた。影を描いている時もそうだが、形を描いて、そこから少しずつ少しずつ陰影をつけていく作業は気持ちがいい。彫刻を本格的にやったことがないので、予想も含めてだが、粗く掘った形を少しずつ磨いていく作業に似ているのだろう。そこには、形を作る際の創造性とは別の、職人的作業がある。 これは恒例になっている、色々試してみようの時間で描いた習作。今回は竹ペンを使ってみた。竹ペンはゴッホがよく使用した画材の一つで、こういう新しい画材に触れることができるのも、環境によるところが大きい。 インクを使う、ということは、描き直しができない。勢いで一筆で形を描いてみる。失敗が許されない時の緊張感。でも竹じゃないにしても、ペンは僕がいつも使う道具なので、自分を出しやすい画材だという感覚を得た。

デッサン教室 その二

イメージ
第二回目 デッサン教室二回目。これは僕のお気に入りの習作のひとつだ。今回は前回習った形の把握の仕方以外に、色の濃淡を意識しよう、とのことだった。一回目の習作と 比べて、大きな進歩が見られる。これには自分自身でも驚いたのだが、やはりデッサンにもコツのようなものがあって、描きながらそれを少し掴んだのだと思 う。それと、瓶の色や影に木炭を使ったことで作品に新たな表情を加えたということも言えるだろう。 僕は普段デッサンはしないが、絵を描くのに木炭を多用するので、木炭の良さを自分なりに知っている。急に上達したように見えるのも、木炭での経験がここで生きているからなのだろう。 今日も二枚目は静物から一旦離れ、有名な画家の画集を参考にしながら、線と画材の使い方を教わる。ここでも木炭を使い出すと気分が乗ってくる自分がいた。 そして三枚目、時間があまり残されていなかったので、鉛筆で丁寧に描くのを諦め、木炭で一気に描いてみた。対象を忠実に再現はしていないが、なんとも自分らしい、味のある習作ができたと思う。

デッサン教室 その一

イメージ
ゴッホや小林秀雄の話が一向に進まない中で、また新しいことを始めたので、忘れないうちに書いておこう。 思うところがあって、9月、10月とベルリン市が提供している、市民向けのデッサン教室に通ってみた。ドイツではフォルクスホッホシューレ(Volkshochschule、辞書の訳語では「市民大学」。以下VHS)というシステムがあり、そこでは一般市民向けに色々な講座が開かれている。仕組みとしては、まず講座を開きたい講師がいて、VHSに登録をする。それを見て受けたい人が一定数集まると、講座が開催される、ということのようだ。 今回僕はデッサンを習いたかったので、VHSのウェブサイトで初心者向けの講座を探し、試しに受講してみた。 毎週月曜日の18時から21時の全7回。最後の回は体調が悪く、作業に全く集中出来なかったため、載せる作品がないのだが、それ以外のデッサンをここで順次掲載していこうと思う。 第一回目   今回のデッサン教室は、中年の女性画家によって開かれたもので、受講者は僕を含めて5〜6人。少ない分、一人一人をきちんと見てくれるのでよかった。前述した通り、僕が受講したのは初心者向けのものだったので、僕以外絵描きは一人もいなかった。僕自身、これまでデッサンについて、基礎的な何かを学んだ経験はない。 デッサンする対象は主に静物。上の絵が最初に描いたものになるが、手が思い通りに動かない感じがよく表れていると思う。これでも一生懸命描いたのです。 これはデッサンではない。二枚目は静物から一旦離れて、幾何学模様を適当に描いて、それを線で繋いでみなさい、ということだった。最初は鉛筆だけだったが、講師から木炭や墨汁を渡されて、自由に描いていいということだったので、色々な画材を試させるためのものだったのだろう。 一枚目の不自由な感覚に苦しんだ後だったので、僕は水を得た魚のように、好き勝手に描いた。何もない所から描いていく、やはりこういうやり方が自分には合っている、と改めて感じた。 そして三枚目は再び静物を描く。ここでは対象の高さ、太さ、距離感などを、鉛筆を使ってどうやって把握するかを教わった。そこで分かったのは、対象を3次元でなく、2次元で見ようとする視点が必要になる、ということだ。考えてみれば当たり前なのだが、絵は2次元なのだから、3次元の

Open Atelier / オープンアトリエ

イメージ
Hallo ihr lieben, seit einer Woche sind meine alten Bilder an die Wand meiner Wohnung gehängt. Wenn jemand Lust hätte, komm einfach vorbei sie zu schauen. Sie hängen mindestens noch eine Woche. Sag mir bitte einfach Bescheid. 先週より自宅の壁に過去の作品を展示しています。少なくともあと一週間はこのままにしているので、もしご興味がある方がいらっしゃったらお気軽にご連絡ください。

ハルツの紅葉を求めて

イメージ
ここのところの天気があまりにも良かったのと、今年の秋は特に紅葉が美しく感じたので、先週の土日はベルリンから南西に200kmほど離れたところに位置する、ザクセン・アンハルト地方を訪れた。ここにはハルツという、標高はそれ程でもないが、小高い山々と広い森がある。 今年の2月に旅したヴェルニゲローデという街も、このハルツの有名な街の一つだったが、今回はクヴェルトリンブルクとターレという小さな街を訪ねた。 クヴェルトリンブルクの中央広場 やはりここでもヴェルニゲローデと同様、木組みの家が特徴的だ。 旧市街の外れに位置する城 城の近く、小高い丘の上に建つ住宅 その丘の奥に入って行くと細い小道が現れ、さらに進んで行くと緑と黄色の絨毯が。 初日はクヴェルトリンブルクの街並みを観光し、二日目はターレへ。行ってみて分かったのだが、クヴェルトリンブルクはまだハルツから少し離れたところに位置しており、ターレがまさにハルツの玄関口の一つとなっていた。 山の上にはリフトでも登れる。リフト自体、恐らく20年振りくらいに乗ったのではないか。 リフトの上から見た景色。 魔女の家。ハルツは魔女伝説で有名な場所でもある。 ここはドイツのグランドキャニオンと呼ばれているそうです。(地球の歩き方調べ) こちらの紅葉は日本と比べて鮮やかな赤が少ないように思う。時期の問題なのか分からないが、針葉樹でもないのにまだ黄緑色の葉っぱもあるし、基本は緑〜黄色〜茶色で鮮やかなのは黄色の一部。これはこれで美しいのだけど、やはり日本の紅葉を見ている時の方が感動が大きいように思う。

小林秀雄「ゴッホ」2

自分自身を守ろうとする人間から、人々は極く自然に顔をそむけるものである。他人を傾聴させる告白者は、寧ろ全く逆な事を行うであろう。人々の間に自己を放とうとするであろう。優れた告白文学は、恐らく、例外なく、告白者の意志に反して個性的なのである。 (p97,98) 前回の続きになるが、ここでは「自分自身を守る人間」と「人々の間に自己を放とうとする人間」について考える。自分を守るとは、外部からの体裁を気にしたり、弱みを見せないようにすることだろう。反対に、自己を放つとは、体裁を気にせず、弱みや醜い部分をありのままにさらけ出すということではないか。 そしてこの「優れた告白文学は、恐らく、例外なく、告白者の意志に反して個性的なのである。」 という一文。始めこの文を読んだ時は、今ひとつ意味が分からないでいた。どうして自分を守り、自分流に語ることよりも、自己を放つことの方が個性的なのか。自己を放つということは、個性を失うということではないのかと。しかし、ここで書きながら考えているうちに、自分の読み込みがいかに浅いものかと逆に気付かされた。 こんなの当たり前の話だ。自分の殻に閉じこもって体裁を気にしている者からは、それだけのあざとさが見て取れる。無理に個性的であることを装うのだから、そんなの簡単に見透かされてしまう。要は中途半端なのだ。 それにひきかえ、自己を放つ者は、人からどう見られるのかは気にしない。そんな些細なことに気を煩わしている余裕もない。ただひたすらに、自分をまな板の上に乗せて、冷徹な目でそれを見つめるのだ。そんな、誇張も弁解もない、ありのままの自己を語られたら、それが個性的でないわけがない。それがその告白者のとらえた紛れもない自分なのだから。もっとも、当人はそれが個性的かどうかなどには一向に興味がないだろうが。 ここで、ページが前後するが、ドイツの有名な哲学者で現象学的精神病理学の専門家でもある、カール・ヤスパース(Karl Jaspers)のゴッホについての分析を取り上げている箇所があり、これまでの話と関連があるので、一旦話をそちらに転ずることにする。 --- 病気は、勿論、ゴッホにとって、仕事の上での大きな障碍だったに違いないが、現に存する彼の作品は、病気という条件がなければ、恐らく現れなかったであろうと考えざるを得ない様な、或る特異

小林秀雄「ゴッホ」

また何の脈略もなく新しい事を始める。ゴッホについてのまとめも、書き始めておきながら放置状態。まだ書くということが自分の中で慣れていないのだろう、こうしてパソコンの前で何かについて書き始めるまでに相当の時間がかかるし、書けないでいることがまた自分の気力を奪う。この繰り返しから逃れるためにも、取り敢えずその時書きたいと思ったことに取り掛かろう。まずは習慣化させること、自分に告白させる場を与えることを考えよう。 ということで、今日は小林秀雄の「人生について」という評論集から「ゴッホ」を取り上げる。取り上げると言っても単純に引用とそれに対する僕の感想なので、読者には相変わらず不親切なものになるだろうことを断っておきます。 以下、引用元 「人生について」小林秀雄(中央文庫)1978年 「ゴッホ」p94〜p113 --- 殆どすべての手紙は、ただ一人の心の友であった弟に宛てて、彼の言葉を借りれば「機関車の様に休みなく描く」仕事の合間に、綿々と記されたのであるが、恐らく、カンヴァスの乾くのを待つ間、机の上の用箋に向ったゴッホのペンは、やはり機関車の様に動き出しただろうと思われる。(p94,95) いきなりだが、まさにこれが僕にとって理想の状態だ。常に自分と向き合い、自分の内側を見つめてそこから自分の欠片を取り出す作業。もちろん僕とゴッホの制作スタイルが違うから、彼と全く同じように作業は出来ないだろう。(例えば、僕は深夜に絵を描くことがほとんどで、そうすると、寝ている間に絵は乾いてしまう、しかも彼と違いアクリル絵の具だから乾きも早い。そうなると、乾くのを待っている間、書くということは出来ない。まあ、これは些細な違いなのだけれど。) それでも、絵を描くこと、言葉を書くこと、この二つの両立を意識している僕としては、それをどちらも「機関車の様に休みなく」できる彼に憧れてしまう。それが自分の満足できる具合にできるようになれば、もっともっと自分とこの世界のことがよく見えるようになるのだろうし、何よりも生の充実を得られる。命の炎に薪をくべて自分を「機関車の様」に動かしたい。今はそこに到達するために、幾度となく気力を失い自己嫌悪に陥りながらも、必死にもがくしかないのだろう。 --- 手紙は言う。「自然が実に美しい近頃、時々、僕は恐ろしい様な透視力に見舞わ

無題 Ohne Title

イメージ
※今回からたまに、でも出来るだけ、ドイツ語でも自分の思いを言葉化していきたい。そのドイツ語はここに書かれている日本語以上に、文章として間違いだらけだと思う。しかし今は書くこと、それ自体を優先しているので、その点はご了承願いたい。 ※Von heute versuche ich manche mal, wie möglich, das Tagebuch auf Deutsch zu schreiben. Ich würde mich derzeit auf das Schreiben konzentrieren mehr als die Grammatik. Deshalb könnte es hier sicher viele Fehler geben. Zuerst würde ich Ihnen darüber informieren. 今日もまた取り留めのないことを書いていくことになるのだろう。 Auch heute werde ich wieder dummes Geschwätz schreiben.. 最近は再び少しずつドイツ語の勉強を進めている。とは言っても自分が望んでいるほどは捗っていない。文法、聞き取りを少しとドイツ人のおじいさんに協力してもらって、週一で朝食を食べたりしながらドイツ語で会話をしている。一日が過ぎていくのはなんとこう、あっという間なのだろう。こう思うことができるのは以前よりも活動的になっていることの裏返しであり、であればこれは喜ぶべきことなのだろう。 Zurzeit habe ich wieder angefangen, langsam Deutsch zu lernen. Jedoch geht es nicht so gut als ich wollte. Die Grammatik, die Nachschreibeübung und ab und zu unterhalte ich mich mit einem alten Herrn über die verschiedenen Themen auf Deutsch. Wie schnell vergeht einer Tag. Es heißt aber, dass ich momentan viel Motivation zu tun habe

無題

ふむ、この気が抜けたような感覚に陥る、ということについて、とことん考えた方がいいと思うようになってきた。その日の仕事については朝起きた時の勢いと責任感からこなすことはできる。これは当然のこと。しかし、仕事が終わってふと休憩をすると、途端に心が殻になったような心持ちに襲われる。やりたいことはある、それが大切なことだってことも分かっている。でもそこに向かうだけの力が湧いてこない。 今休暇が終わってベルリンに戻って来た友人から電話があった。久しぶりに彼女と話していたら、それだけで元気が湧いてきた。そして彼女には、僕は毎年夏になると気力の落ち込みに悩まされていると言われた。確かにその通りなのだ。夏になり日が長くなって、明るい時間を持て余していることがマイナスに影響しているのか。去年の夏は予定が色々と入っていたから乗り越えられたものの、一昨年は今年とは比べ物にならないくらい酷かった。おかけで胃の調子をおかしくしてしまったのだ。 日が長くて通りに人が多くいる、街はざわついていて落ち着かない。その雰囲気に僕の心があてられてしまうのだろうか。一方、冬は夜が早く訪れるし寒さが厳しいので、街はひっそりと静まり返る。前回の冬は特にドイツ語の勉強がはかどった(上達したかは別として)。 ここまでの数週間は毎週ベルリンの郊外に出ては湖に入り浸っていた。自分のやるべき事はそっちのけで、そうなると本来は罪悪感に苛まれるのだが、暑い日差しの下、水に浸かり、森の中を歩いていると精神的にとても落ち着くのだ。罪悪感もなく、健康的な気分になる。これが自然の力というものなのだろうか。いずれにしても、夏の過ごし方については何かしら工夫しなくてはなるまい。夏は毎年やって来るのだから。 現状としては、幸い段々と日が短くなって来ているので、闇の中で僕の心も静けさを取り戻しつつある。

無題

折角書けるようになってきたかと思っていたのに、また挫折しそうになっている。それだけじゃない、全体的に気力が下がって来ている。それは最近の天気が原因なのだろうか。今週は曇りがちだし、何よりも真夏の暑さがなくなった。家にいても湖に行きたくなるような、そわそわした気分がなくなった。やりたいことはたくさんあるのに、そこから活力を引き出せない。またいつものパターンに陥ってしまうのだろうか。 この問題、回避する方法は分かっている。しかし出来れば正面から突破したいものだ。 ダメだ、今日はもう、今日ももう寝よう。

無題

ふと気を抜いていると、書くということから遠ざかってしまいそうになる。それだけ書くことは難しい。難しいというか、精神的に負荷がかかるものでもあるから、書き始めたら心が生き生きしてくるのだけど、それまでが大変なのだ。 だから今日もここに至るまでに多くの時間を費やしてしまった。プロレスとアニメの動画を見ている間に時間がどんどん過ぎてしまった。動画サイトってほんとに怖い。時間を潰せるものであふれているし、見ていると一定の満足感も得られてしまう。他にやることがないのであればそれでもいいのだろうが、僕にはやることがあるはずだ。なのに、ふとした気のゆるみ、それは食事中だったり仕事が終わった後の一時であったり、そういう時間に動画を見だすと止まらなくなる。これが映画だったりすると、2時間前後という長い時間を想像するので、見ようとまではならないが、10分〜20分の動画となると、気軽に見れてしまう、そしてそれを繰り返してしまって結局2時間が過ぎることもある。ほんとによくないと思う。 僕は高校ぐらいからテレビゲームでドラゴンクエストのような冒険物をやらなくなった。それは黙々とタスクをこなすだけで延々何十時間もゲームに付き合わされるのが嫌になったからで、代わりにスポーツゲームを好んでするようになった。それだと一試合15分〜30分で終わる。しかしここでもやっぱりそれを繰り返してしまい、結局冒険物をプレイするのと変わらないかそれ以上の時間をゲームに費やしていたと思う。 気軽さは危険だ。そこに中毒性が潜んでいると今度は気軽に抜け出せなくなる。まあ、動画サイトにしてもその内容は千差万別なのであって、実際に人を感動させるものだって沢山ある。でもそれによって心の状態が受け身になってしまい、こうして自ら表現したり、単純にやるべき事への意識が低下するのは非常にまずい。むしろその気軽さがこの書くということに感じられるようになったらいい。そしてそこに中毒性があるのも僕にとってはいいことだ。 まだまだ書くことにきちんと向き合えていない感じがする。なんとか言葉を繋いではいるが、できればこれをドイツ語と並行して書いていきたいし、もっと時間に余裕を持って書きたい。それでも何とか今日も書けた。

書くということ

さて、今日はゴッホとは全然別の事を書くことにしよう。 もう少し、あと少しで自分に書く力、といういうよりも書く習慣が備わるような、そんな感覚がある。書くと言っても上手な文章を急に綴れるようになるとか、そんなことではなく、ただ今こうして書いているような、取り留めのない話をその都度書けるようになりつつあるのではないか、と期待を込めて書いてる。 僕は絵を描くこともそうだが、文章を書くことにも潜在的に強い衝動があって、いつもそれを形にすることに苦労している。また、形に出来ずにストレスを抱えてしまうことも多い。絵については波がありながらも、もう10年以上付き合っているわけで、どうすればその衝動を自分の肉体に伝えることができるのかが、徐々に分かってきた。毎日絵を描いていなくても、描けなくなることはないということを確信している。 しかし、僕が最近よく考えるように、自分の衝動を言葉を通じて表現する、自分に表現させること、それがまだ自分の中でしっくりと来ていない。衝動を言葉にする、という表現もおかしい気がする。そもそも衝動とは、言葉にうまくできない強い内部的な精神的な動きのことであるから、それを言葉にするということは矛盾している。ただ僕がここで言いたいことは、表現したい衝動(これは突き詰めると自己の存在を証明しようとする衝動と言える)、その心の動きを捉えて言葉にしたいということだ。 現実の出来事に接して、自分が感じたこと、頭の中に浮かんだ考えなどをその都度言葉に表していく。単純にそれがしたいんだ。そうすることによって、自分の頭の中が整理されてスッキリするだけでなく、そこから自分についての多くの発見が得られる。 実は、僕は絵を描き始めた頃から旧ブログや自身のサイトにて「DIG」という項目を設けて言葉を表現していた。当時から僕の事を知っている人で、それを読んでいた人などほとんどいないと思うが、始めはそれこそ頻繁に言葉を書いていた。今から振り返ってみると、文体も違うし、書いている内容も、青臭い、それでも自分で言うのもなんだが、いい言葉を使っていると思える所も多い。 ただそこにあるのは、深い思考によって書かれたもの、というよりも、その場の瞬発的で感覚的な言葉の羅列。より詩に近いものだったと思う。あの時の自分にはそれ以上のものを持っていなかったのだから、それはそれでよか

ゴッホ1

ここのところやっと、言葉を吐き出すことの、自分にとっての意味が分かってきて、吐き出させる環境も整ってきたように思うので、この勢いに乗ってゴッホを僕なりに消化して行こうと考えている。 6月の中旬から7月の頭にかけて、僕は南フランスのアルルという街に滞在してきた。そこは言うまでもなくヴィンセント・ヴァン・ゴッホが最も彼らしい作品を多く生み出したと言われる土地で、ゴーギャンとの短い共同生活、そしてまた発狂が始まった土地でもある。 ※ゴッホは1888年2月〜翌89年の5月までアルルに滞在した。 ゴーギャンとの共同生活は88年10月後半〜12月後半のちょうど2ヶ月間、そしてゴーギャンがパリに戻る直前にゴッホは初めての発作(有名な耳切事件)を起こす。 僕が初めてゴッホの作品を見たのは上野の西洋美術館だったと思う。あれは自分がまだ大学生の時ではなかったか。大きくていくつもの部屋がある中で、ゴッホの作品は一枚だけ、しかも全集にも載っていない、彼の作品の中ではあまり知られてない作品なのではないだろうか。当時を回想してみると、僕はクロード・モネの、川の対岸の小さな町を夕日のサーモンピンクで染めた作品に心を焼かれていた。 それと対称的に、ゴッホの作品は部屋の片隅にひっそりと展示されており、ひと目見ただけだと彼の作品だと知らずに通りすぎてしまいそうだった。それでも僕がモネの作品の次に心に残っていたのはこの絵で、モネや同じ部屋に掛けられている同時代の他の画家による作品と全く異なる、何かこう、得も言われない独特の雰囲気を感じたのを覚えている。 こういう言い方もできる。モネの絵は綺麗だな、と思って、ああ、綺麗だ、と思って見ることが出来たし、当時の僕にはそれで十分だったが、ゴッホの絵からは何か簡単に綺麗と片付けられない、片付けてはいけない危険な感じがした。これは今でも同じく思うことだが、彼の絵には何か得体の知れないものが「詰まって」いるように感じるのだ。ふっと絵の前で足を止めて、誰の絵なのかと名前を見て、そこでそれがあのヴィンセント・ヴァン・ゴッホの作品だと初めて分かった。 これは全くの序章に過ぎず、ゴッホと真に出会い、向き合うことになるまで、そこから十数年の時を待たねばならなかった。 クロード・モネ「ヴェトゥイユ/1902年」(西洋美術館蔵) ht

無題

よし、久しぶりに記事を書こう。 最近は本当に「ものを書く」ということが出来なくてイライラしている。 それは忙しくて時間がないから、とかではなく、気力の問題なのだと思う。 日々感じることが沢山あって、頭の中では言葉が渦を巻いているのに、いざそれを形にしようとする段になるとキーボードを叩いたりペンを動かしたりすることができなくなる。僕はいつもこのギャップ、気持ちと行動の隔たりに苦しむわけだ。 原因を考えてみるが、これといったものが見つからない。単に本気でやりたいと思っていないだけかとも思うが、そうしたら絵を描くことだって展示をするという期限を設定することで集中できるようになるという今の状況を考えると、これまた怪しくなる。 そうして何なんだと考えれば考えるほどに、また気力が失われていくのだ。 こんな僕を傍から見たら、僕は病んでいるようだろう。果たして僕は病んでいるのかも知れない。 その辺りは正直よく分からない。実際には、絵による表現を自分である程度(意識して展示をするということで)制御できるようになるまで試行錯誤を繰り返したように、両翼のもう片方の翼である言葉、この言葉をより精力的に吐き出させるためにも、今はこうして病むほどに苦しみながら、その方法を見つける過程にあるのかも知れないし、そうであったら僕は嬉しい。 こうして誰に向かっている訳でもない言葉の羅列をするのも、今ではほぼ誰も訪れなくなったこのブログでは都合がいい。これは一種のリハビリテーションなのかも知れない。 僕は何を語っているでもない、ただ自分の心の動きを観察し、それを言葉にしようと試みているに過ぎない。美しい風景に触れて何とも言えない気持ちになった時の、その感情、 その感情を言葉にしたい。道を歩いていてふと頭に浮かんだ言葉、その言葉を忠実に書き出したい。 実際にこうして言葉を絞り出している今この時の気持ちは充実している。自分の内側から出てくる何ものか、その何ものかを外側に出す作業は僕に満たされた感覚をもたらす。 さて、ここ最近はずっとゴッホにかかりきりなわけだが、ゴッホに触れた時の自分の気持ちをひたすら言葉に表す作業をしたい。今こうして書いていて感じたこと、こうして言葉の羅列をしているだけでも十分なのじゃないか。変にかしこまって、ある形式にのっとってまとめようと

ヴェルニゲローデ その二

イメージ
その後、完全にほったらかしていたヴェルニゲローデ紀行を再開します。 こちらはSchiefes Haus、日本語だと「傾きの家」といったところだろうか。写真からは伝わりにくいが、7度手前側に傾いている。それはピサの斜塔の倍程度ということらしいのだが、建物の形からして見た目の印象に欠けるのは否めない。 1680年に縮絨工場として作られた建物で、その後、脇にある用水路の水が原因となって少しずつ傾いていったらしい。現在では博物館になっている。内側に入ってみると、その傾きをより体感できたのかもしれない。 町庁舎に並んで、この町のもう一つのシンボルであるヴェルニゲローデ城。12世紀に初めて築かれた城で、当初はドイツの王様がハルツの森へ狩りに出かける際の拠点として、その後は伯爵の居城として使用された。そして1930年より一般に公開されるようになって今に至る。増改築が何度も行われたということもあってか、建物の部分部分で特徴が異なっているのが面白い。 泊まった宿はこの丘の麓にあり、宿のオーナーから裏口の鍵を借りて直接丘に登って散策ができた。 ヴェルニゲローデ城の丘から眺めた夕暮れ時のブロッケン山。「ブロッケン」と言う名前は日本人にも馴染みのあるものだと思う。キン肉マンに出てくる超人ブロッケンマン&ブロッケンJr.、またブロッケン現象。そしてブロッケンと言えばやはり、ファウストだろう。ファウストのハイライトの一つであるヴァルプルギスの夜はこの山が舞台となった。 毎年4月30日の夜から5日1日にかけて、このブロッケン山に魔女たちが集まってきて春の到来を祝うという。 ヴァルプルギスの夜について http://ja.wikipedia.org/wiki/ヴァルプルギスの夜 僕は最近、神話や民俗学にも興味が出てきていて、日本の古事記を読んでみたり、いずれは柳田国男にも挑戦したいと思っている。それもまあ、早くて数年後の話。その流れで童話、ドイツだとグリム童話なんかを熟読してみたい。グリム兄弟の足跡を辿りながら、彼らの遺したメルヘンを読む旅をいつかしたいと思っている。 ディナー。一人旅なので一人でレストランで食事。普段は一人でこんなことはしないのだが、今回はなんとなくその気になった。鹿の肉です。それとシュペッツレという 小麦粉