無題

よし、久しぶりに記事を書こう。

最近は本当に「ものを書く」ということが出来なくてイライラしている。

それは忙しくて時間がないから、とかではなく、気力の問題なのだと思う。

日々感じることが沢山あって、頭の中では言葉が渦を巻いているのに、いざそれを形にしようとする段になるとキーボードを叩いたりペンを動かしたりすることができなくなる。僕はいつもこのギャップ、気持ちと行動の隔たりに苦しむわけだ。

原因を考えてみるが、これといったものが見つからない。単に本気でやりたいと思っていないだけかとも思うが、そうしたら絵を描くことだって展示をするという期限を設定することで集中できるようになるという今の状況を考えると、これまた怪しくなる。

そうして何なんだと考えれば考えるほどに、また気力が失われていくのだ。

こんな僕を傍から見たら、僕は病んでいるようだろう。果たして僕は病んでいるのかも知れない。
その辺りは正直よく分からない。実際には、絵による表現を自分である程度(意識して展示をするということで)制御できるようになるまで試行錯誤を繰り返したように、両翼のもう片方の翼である言葉、この言葉をより精力的に吐き出させるためにも、今はこうして病むほどに苦しみながら、その方法を見つける過程にあるのかも知れないし、そうであったら僕は嬉しい。


こうして誰に向かっている訳でもない言葉の羅列をするのも、今ではほぼ誰も訪れなくなったこのブログでは都合がいい。これは一種のリハビリテーションなのかも知れない。

僕は何を語っているでもない、ただ自分の心の動きを観察し、それを言葉にしようと試みているに過ぎない。美しい風景に触れて何とも言えない気持ちになった時の、その感情、 その感情を言葉にしたい。道を歩いていてふと頭に浮かんだ言葉、その言葉を忠実に書き出したい。

実際にこうして言葉を絞り出している今この時の気持ちは充実している。自分の内側から出てくる何ものか、その何ものかを外側に出す作業は僕に満たされた感覚をもたらす。


さて、ここ最近はずっとゴッホにかかりきりなわけだが、ゴッホに触れた時の自分の気持ちをひたすら言葉に表す作業をしたい。今こうして書いていて感じたこと、こうして言葉の羅列をしているだけでも十分なのじゃないか。変にかしこまって、ある形式にのっとってまとめようと思うとうまく行かなくなるのはこれまでの経験で分かっていることだ。それでも、ある程度はまとめる力も必要だと思うから、少しは抵抗、いや挑戦してみようとは思うが、まとめることを意識しすぎて言葉が出て来なくなった、そう考えられはしないだろうか。

いずれにしても、書きながら今後の手がかりを掴んだような気がする。絵の制作と同じで、まず何でもいいから書き出し始める。そしてそこから見えてくるものがあって、それを展開させていくというやり方だ。



よし、

久しぶりになんとか記事が書けた。


※目標はこういう思いの丈をドイツ語でも書けるようになることだ。もっともっとドイツ語の水準を上げなければならない。これは人に他の言語も使えてすごいと思われようと思っているからではなく、まずもって怠け者の自分に強く言い聞かせるために書くものである。


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