ゴッホ1


ここのところやっと、言葉を吐き出すことの、自分にとっての意味が分かってきて、吐き出させる環境も整ってきたように思うので、この勢いに乗ってゴッホを僕なりに消化して行こうと考えている。


6月の中旬から7月の頭にかけて、僕は南フランスのアルルという街に滞在してきた。そこは言うまでもなくヴィンセント・ヴァン・ゴッホが最も彼らしい作品を多く生み出したと言われる土地で、ゴーギャンとの短い共同生活、そしてまた発狂が始まった土地でもある。

※ゴッホは1888年2月〜翌89年の5月までアルルに滞在した。 ゴーギャンとの共同生活は88年10月後半〜12月後半のちょうど2ヶ月間、そしてゴーギャンがパリに戻る直前にゴッホは初めての発作(有名な耳切事件)を起こす。

僕が初めてゴッホの作品を見たのは上野の西洋美術館だったと思う。あれは自分がまだ大学生の時ではなかったか。大きくていくつもの部屋がある中で、ゴッホの作品は一枚だけ、しかも全集にも載っていない、彼の作品の中ではあまり知られてない作品なのではないだろうか。当時を回想してみると、僕はクロード・モネの、川の対岸の小さな町を夕日のサーモンピンクで染めた作品に心を焼かれていた。

それと対称的に、ゴッホの作品は部屋の片隅にひっそりと展示されており、ひと目見ただけだと彼の作品だと知らずに通りすぎてしまいそうだった。それでも僕がモネの作品の次に心に残っていたのはこの絵で、モネや同じ部屋に掛けられている同時代の他の画家による作品と全く異なる、何かこう、得も言われない独特の雰囲気を感じたのを覚えている。

こういう言い方もできる。モネの絵は綺麗だな、と思って、ああ、綺麗だ、と思って見ることが出来たし、当時の僕にはそれで十分だったが、ゴッホの絵からは何か簡単に綺麗と片付けられない、片付けてはいけない危険な感じがした。これは今でも同じく思うことだが、彼の絵には何か得体の知れないものが「詰まって」いるように感じるのだ。ふっと絵の前で足を止めて、誰の絵なのかと名前を見て、そこでそれがあのヴィンセント・ヴァン・ゴッホの作品だと初めて分かった。




これは全くの序章に過ぎず、ゴッホと真に出会い、向き合うことになるまで、そこから十数年の時を待たねばならなかった。




クロード・モネ「ヴェトゥイユ/1902年」(西洋美術館蔵)
http://collection.nmwa.go.jp/P.1959-0157.html

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「ばら/1889年」(西洋美術館蔵)
http://collection.nmwa.go.jp/P.1959-0193.html


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